Anthroposophie

地質学年代資料-wik


暁新世(ぎょうしんせい、Paleocene)


約6,600万年前から約5,600万年前[1]までの期間を指す。新生代最古の世。古第三紀の第一の世。
前時代である中生代白亜紀には主役であった恐竜のグループは、鳥類を唯一の例外として、そのほかはK-Pg境界においてことごとく絶滅している。(ただし、アラモサウルスなどのごく一部の属は境界における絶滅を免れ、この時代のダニアン期まで生き延びていた可能性が化石から示唆されている[2])。海中におけるアンモナイトや首長竜類、モササウルス類も全て滅びた。
気候
白亜紀末に引き続き、やや不安定であったが地球全体で気温は高めで湿度も高かった。北極・南極とも温暖で氷河の形跡は無い。
海陸の分布
白亜紀には既に超大陸・パンゲア大陸の分裂が始まっており、暁新世ではアフリカと南アメリカは完全に離れ、アフリカと南極大陸も大きく離れていた。ヨーロッパと北アメリカはまだ陸続き状態であった。インドは巨大な島となってインド洋上を北に向かって移動しており、全ての大陸から孤立していたので、次の時代である始新世にアジアに接近するまでは哺乳類(有胎盤類)は生息していなかった。南極とオーストラリアは一つにまとまっていたが、これらの大陸塊が南アメリカと切り離された時期は、白亜紀末とも、暁新世に入ってからとも言われ、はっきりしない。南北アメリカが分離した時期も白亜紀末頃と考えられるが、狭い海峡で隔てられていただけであれば、動物の交流はそれ以降も継続した可能性がある。
生物
絶滅した恐竜のニッチ(生態的地位)を埋めるように、陸上では哺乳類が、海洋では魚類が放散(radiation)進化を行なったが、哺乳類はまだ原始的で小型のものが多い。北アメリカとヨーロッパは北部でつながっていたので、動物相には共通するものが多く、発掘や研究も進んでいる。繁栄した主な目(もく)は原真獣目(げんしんじゅうもく)・?節目(かせつもく)・多丘歯目(たきゅうしもく)・霊長目などである。原真獣目は食虫類の仲間で、暁新世から次の始新世にかけて多くの目に分化し、発展した。?節目は有蹄類(奇蹄目・偶蹄目)の祖先となった。(ただし現在では食虫類や有蹄類が実は多系統であることが様々な研究から明らかになっている。ここから、彼等の祖先とみられた原真獣目・?節目も実は多系統のグループであり、これらから分岐したと思われていた多くの哺乳類の系統は、既にこの時代に分化・成立していたという見方も有力である。)多丘歯目は白亜紀から続いた小型哺乳類の系統で、始新世に齧歯目(げっしもく)の発展により衰退し、後に絶滅した。北アメリカ大陸に発した霊長目はこの時代にユーラシア大陸に分布を広げ、更に次の始新世にかけてはテチス海伝いにアフリカ大陸にも渡っていった。その多くは極めて原始的な種類ばかりで、ほとんどは現生のものにはつながらず絶滅している。現生のサルの二大グループである曲鼻猿類と直鼻猿類の祖先はこの時代に分岐したとされる。
哺乳類より先に種の分化をほぼ完成していた鳥類の一部は地上性となり、ガストルニス(ディアトリマ)のような大型鳥類(恐鳥類)が出現した。恐鳥類は同じく絶滅期を生き延びた陸生ワニ類(セベクス)や哺乳類と共に、この後も長らく生態系の主役としてその一角を占めていた。
植物は、白亜紀に引き続き被子植物が北半球で栄え、この時代にほぼ現代的な様相を示すようになった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%81%E6%96%B0%E4%B8%96



始新世(ししんせい、Eocene)


約5,600万年前から約3,390万年前 [1]までの期間。新生代の第二の時代。古第三紀の第二の世。
気候
5500万年前の暁新世・始新世境界で突発的温暖化事件(en:Paleocene?Eocene Thermal Maximum)が発生し[2]、暁新世にやや低下した気温は始新世では再び温暖化に転じ、新生代では最も高温の時代になった(始新世温暖化極大・始新世高温期)。湿度も高かった。その原因として北大西洋での海底火山活動やそれに伴う1500Gtのメタンハイドレートの融解などの温暖化ガスの大量放出があり、地表5-7℃の気温上昇の温暖化が起こり、元の二酸化炭素濃度に戻るのに3万年を要した[2]とされる。極地付近にも氷床はなく、ワニや有袋類の化石が出土している。始新世末或いは次の漸新世初期には一時的に気温が急に低下したが(始新世終末事件)、この頃彗星が頻繁に地球に衝突したためだとする説がある。また当時大規模な海退が起こり、海の面積が減少したのが気温低下の原因であるとも言われる。インド大陸がユーラシア大陸に接近し始めてテチス海が狭まっていき、南極大陸が南米大陸やオーストラリア大陸から分離するなど、始新世は海洋と大陸の配置が大きく変わりつつあった時代だが、それに伴って地球規模で循環する海流の動きも大きく変動していたと思われ、これも又、海退と寒冷化の一因とされる。
海陸の分布
ヨーロッパと北アメリカは更に大きく離れて大西洋が拡大し、両大陸の連絡は始新世中期には絶たれたが、北アメリカとユーラシアはベーリング海方面で次第に接近し、陸橋となっていた。既に南アメリカと分離していた南極大陸・オーストラリア大陸塊は始新世半ば以降分裂した。インドはアジア大陸に接近しつつあった。
生物
高等有孔虫類・二枚貝類が繁栄した。
現存哺乳類のほとんどの目(もく)は始新世の初期には現れている。鯨偶蹄目・奇蹄目(ウマ目)などが発展し始めた(クジラ類が鯨偶蹄目から現れたのもこの頃)。新しい目の種の多くはまだ小さく、10kg以下であるが、ウインタテリウム(恐角目)のような巨獣も出現するなど、哺乳類の放散が始まっている。恐角目、汎歯目、紐歯目といったような原始的な哺乳類の多くはこの時代を乗り切れず、後期から末期には姿を消していた。その空白を埋めるように新たな哺乳類の出現が促され、第二次の適応放散が始まったと言える。その中でコウモリ類のように空にも哺乳類が進出していく。霊長類では真猿亜目が出現したのがこの頃とされる。鳥類の現存目もこの時代に完全に現れる。
北米とヨーロッパの生物相は類似しており、この時代まで両者に陸橋があった名残である。
温暖湿潤な気候のため森林が優勢で、草本類の分布はまだ限られていた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%8B%E6%96%B0%E4%B8%96



漸新世(ぜんしんせい、Oligocene)


約3,400万年前から約2,300万年前までの期間。新生代の第三の時代。古第三紀の第三番目かつ最後の世。
気候 初期には一時気温が低下し気候が不安定になった。この気候変動は、後に述べる同時期の大海退や動物の大量絶滅と関連し、地球外に原因がある(例えば巨大隕石や彗星の衝突)とする説もあるが、確実ではない。中期以降は温暖で安定した気候になった。しかし、従来は中新世になってからと考えられていた北極の海氷と南極大陸の氷床は、既にこの時代に形成されたとする意見もある。
海陸の分布
初期には大規模な海退が起こったようである。北アメリカとヨーロッパは大西洋の拡大により完全に分断されたが、逆に北アメリカとアジア(シベリア)はベーリング海峡付近でしばしば接続し、動物の行き来があった。北アメリカと南アメリカは白亜紀よりこの世まで大アンチル諸島が陸橋となってつながっていたが、やがて北東に移動していった[2]。 インドがアジアに衝突し、テチス海は急速に消滅しつつあった(これも海退や気候変動、ひいては多くの動物の絶滅の一因とされる)。アフリカ・南アメリカ・オーストラリア・南極の各大陸は海で隔てられ、孤立している。アルプス山脈とヒマラヤ山脈の造山運動が開始された。北アメリカ西部の造山運動は続いている。
生物相
大陸の分離によって、動物相には地域ごとの違いが見られるようになった。また、前の始新世に栄えた動物の多くが、始新世と漸新世の境界付近で絶滅し、それに変わる新しい種の発展が見られる。
哺乳類の進化、特に大型化が進んだ。史上最大級の陸生哺乳類とされるアジア産奇蹄目(サイ類)のインドリコテリウムはその極致と言える。ゾウの仲間(長鼻目)はアフリカで進化し、大きな体躯を持ったが、まだ他の大陸には進出していない。霊長目ではオナガザル上科と分かれる形で類人猿(ヒト上科)が出現し大きな発展を遂げていった。現在のテナガザルに似た小型の類人猿の仲間が繁栄し、続く中新世にかけてはアフリカからヨーロッパ・アジアにかけて勢力を広げた。肉食性哺乳類では、これまで栄えた原始的な肉歯目が衰え、現在のトラ・ライオン・オオカミなどにつながる食肉目が取って代わっている。植物食性の哺乳類では中生代から存続していた小型植物食性哺乳類の多丘歯目が姿を消し、大型植物食性哺乳類でも多くの種が、この時代を乗り越えられず、絶滅している。ゾウと遠縁でありアフリカを中心に生息していた重脚目、ウマと遠縁であり北米やアジアに生息していた奇蹄目のブロントテリウム科(雷獣)、前述のインドリコテリウムなどのアジアの大型のサイ類がその代表である。海洋では前の始新世にテチス海を中心に発展していた原クジラ亜目の多くが前述の気候変動やそれに伴う海退によって滅んだが、一部の生き残ったものが現鯨類として発展した。絶滅した原クジラ類に代わって、食肉目のクマに近いグループがこの時代に海洋への進出を開始し、鰭脚類(アシカやアザラシの仲間)の祖先となった。
オーストラリアでは漸新世になっても有袋類の化石は見つかっていないが、既に有袋類の一部が入っていた可能性はある。南アメリカ大陸は他の大陸と孤立して独自の生物進化を始め、午蹄中目と呼ばれる有蹄類が分布した。また、この時代に、いまだに比較的近い位置にあったアフリカ大陸から南米大陸に幾らかの小型動物(広鼻下目の祖先となる霊長類や齧歯類)が流入したようである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%B8%E6%96%B0%E4%B8%96



中新世(ちゅうしんせい、Miocene)


約2,300万年前から約500万年前までの期間。新生代の第四の時代。新第三紀の第一の世。
背景
大陸はほぼ現在の様相だが、北アメリカ大陸と南アメリカ大陸は離れている。ヨーロッパのアルプス山脈と北アメリカのロッキー山脈で造山運動が始まった。日本がユーラシア大陸から分離し、日本海が形成され、これに伴う海底火山活動で日本各地にグリーンタフと呼ばれる凝灰岩層が発達した。この紀に海面が低くなったことでジブラルタル海峡が閉じ、海水の蒸発により地中海は非常に塩分の濃い海となった。この状態は鮮新世の初め頃(およそ500万年前)まで続いた
気候
中新世は新第三紀以降から現在に至るまでの期間では最も気温が高い時代であり、一般的に温暖であったが、寒冷化は徐々に進行し、南極大陸には氷床が発達・拡大していた。中新世の終わりには氷床は大陸のほとんどを覆うようになっていた。これが更に地球を冷し、以降、氷河期が訪れることになる。
生物
海と陸の生物相はより現代に近づいた。オオカミ類、ネコ科類、ウマ類、ビーバー類、鯨偶蹄類(シカ類、ラクダ類等)、カラス類、カモ類、フクロウ類、メガロドンなどは、中新世にすでに存在していた。ヒト科もこの時代に現れた。アフリカ大陸がユーラシア大陸と繋がったことで両大陸の生物が行き来するようになった。北アメリカ大陸とユーラシア大陸もベーリング陸橋でしばしば繋がったため生物が往来していた。一部の大型哺乳類の系統(肉歯目、束柱目など)が姿を消し、奇蹄類も次第に衰えていく一方、アフリカから他の大陸に生息域を広げた長鼻目(ゾウ類)が大いに繁栄し、偶蹄類も勢力を拡大していった。植物ではC4型光合成を行うものが増加した。
孤立している南アメリカ大陸とオーストラリア大陸のみ、異なった動物相である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%96%B0%E4%B8%96



鮮新世(せんしんせい、Pliocene)


約500万年前から約258万年前までの期間。新生代の第五の時代。新第三紀の第二の世であり、最後の世。
パナマ地峡が形成され、ヒマラヤ山脈の上昇が激しくなった。
分類
ピアセンジアン (3.6 - 2.588 Mya[1]、360万?258万8000年前)
ザンクリアン (5.332 - 3.6 Mya、533万2000?360万年前)
かつては、ジェラシアン (2.588 - 1.806 Mya、258万8000~180万6000年前)も鮮新世に含まれていたが、2009年6月30日のIUGS勧告により、更新世に含まれることとなった[2]。 気候
気候は寒冷化しており、南極大陸は中新世よりもさらに氷床を拡大していた。北半球での氷床の発達もこの時代に既に始まっていた。ヒマラヤ山脈などの大山脈の形成、上昇が同時に激しい岩石の浸食を招き、これによって大量のカルシウム塩が海に流入していった。このカルシウム塩が二酸化炭素を吸収し石灰岩化していったため大気中の二酸化炭素量は激減していき、寒冷化の進行を促した。
生物
現代の動物相につながるものがほぼ出現している。寒冷化に伴い、長鼻目(ゾウ類)などの中新世の温暖な環境で繁栄した生物は多様性を減少させていった。類人猿をはじめとする霊長目(サル類)も全体的に生息域や多様性を減少させるも、その中から中新世末期にチンパンジーの祖先と分かれていたヒトの祖先(ヒト亜族)がこの時代に発展した(いわゆる猿人)。長期間孤立した島大陸だった南米大陸が北米大陸に繋がったことで、多くの生物の両大陸間の行き来が可能になった。これによって北米の生物との生存競争にさらされた南米原産の生物は衰退し、絶滅したものも多かった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AE%AE%E6%96%B0%E4%B8%96



更新世(こうしんせい、Pleistocene)


約258万年前から約1万年前までの期間。第四紀の第一の世。かつては洪積世(こうせきせい、Diluvium)[注 1]ともいい、そのほとんどは氷河時代であった。この前の鮮新世(せんしんせい、Pliocene)と合わせて鮮新・更新世(Plio-Pleistocene)として扱われることもある。
分類
更新世は、前期、中期、後期に分けられ、前期はさらにジェラシアン及びカラブリアンに分けられている。
後期更新世(0.126 - 0.0117 Mya[注 2]、12万6000年?(西暦2000年から数えて)1万1700年前)[1] - 現在、タランティアン (Tarantian) の名称がIUGS-ICSで検討されている[2]。
チバニアン(0.781 - 0.126 Mya、78万1000年?12万6000年前) - 名称について、2017年6月に日本の1チームがチバニアン (Chibanian)[注 3]、イタリアの2チームがイオニアン (Ionian) を申請。審査の結果2020年1月、「チバニアン」と命名された。
カラブリアン(1.806 - 0.781 Mya、180万6000年?78万1000年前)[1]
ジェラシアン(2.588 - 1.806 Mya、258万8000年?180万6000年前)[1]
大陸
大陸の形は現在とほとんど変わらないが、氷期・間氷期の氷床の拡大・縮小による海水準変動に伴って、海岸線の位置が移動した。更新世の後期では海水準にして百数十メートルの変動があった。海水準が低下した時期は、現在浅い海である海域の多くが陸地となっている。
気候 氷期と間氷期を繰り返した[注 4]。総計で15回の氷期があった。その主たる要因は地球の回転軌道の性質からもたらされる変化のために生じる太陽放射量の周期的な変動である(ミランコヴィッチ周期)[3]。 更新世
200万年前 - ヒーバー氷期、ヒーバー-ドナウ間氷期
100万年前 - ドナウ氷期、ドナウ-ギュンツ間氷期
80万年前 - ギュンツ氷期(ネブラスカ)
50万年前 - ギュンツ-ミンデル間氷期(アフトニア)、ミンデル氷期(カンザス)
40万年前 - ミンデル-リス間氷期(イリノイ)、リス間氷期
25万年前 - 12万年前 リス氷期、
7万年前 - ヴュルム氷期(ウィスコンシン)(最終氷期)、リス-ヴュルム間氷期(サンガモン) - 北半球に巨大な氷床が発達しはじめた。カナダおよび米国北部、北西ヨーロッパの大部分を覆い、別の氷床がアルプス山脈とシベリアの一部を覆った。南半球ではそれほどでもなかったと考えられている。南極大陸は第四紀を通じて棚氷に覆われていた。[4]。
2~1.8万年前 - 最寒冷期
1.4~1.2万年前 - 古ドリアス期(小寒冷期)
完新世
1.2万年前 - アレレード期(温暖期)
1.1万年前 - 新ドリアス期

生物
ヒト属が進化(原人ほか)。現生人類(ホモ・サピエンス種)も中期に出現。更新世の間にヒト亜族の大半が絶滅。最終的に現生人類のみが生き残った。
北京原人
ジャワ原人
ネアンデルタール人
ホモ・サピエンス・サピエンス
更新世の終わり頃から、大型の哺乳類の絶滅が始まる(特に北米大陸で顕著だったという)。これは完新世まで続く。
マンモス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B4%E6%96%B0%E4%B8%96



完新世(かんしんせい、Pliocene)


第四紀の第二の世であると同時に、現代を含む。かつての沖積世(Alluvium)[注 1]とはほぼ同義である。
最終氷期が終わる約1万年前から現在まで(近未来も含む)を指し、その境界は、大陸ヨーロッパにおける氷床の消滅をもって定義された。現在は、ヤンガードリアス期の終了と定義されており、グリーンランド中央部から採取された氷床コアの研究に基づき、GSSPによってその下限が定義され、0.0117Ma (2000年から1万1,700年前)以降の時代を指すとされている[1]。
出来事
気候環境が一転して地球全体が温暖化し、氷河がモレーン(堆石)を残して後退した。
地球各地が湿潤化して森林が増加、逆に草原が減少してマンモスやトナカイなどの大型哺乳類の生息環境が縮小し、彼らを絶滅させた。
期間が短いため大規模な大陸の移動などはないが、完新世の初期には、大陸氷床の融解によって海面が130m以上急激に上昇した。特に完新世の気候最温暖期と呼ばれる時代には、現在より3メートルから5メートルほど海水準(陸地に対する海面の相対的な高さ)が高かったとされる(縄文海進)。その後、海面は緩やかに下降し、海水準は直近の2,000年ほどは比較的安定している。
スンダランドが海中に没し、現在のインドネシアやフィリピンなどに相当する地域がユーラシア大陸から分離して島となった。
ベーリング海に存在した陸橋ベーリンジアが温暖化の海進により水没し、北米大陸はユーラシア大陸から分離した。
9600年前ころ、ドーバー海峡ができ、グレートブリテンが大陸から切り離される[2]。
ヤンガードリアス (Younger Dryas:YD) と呼ばれる「寒の戻り」期(約1万4000 - 1万1500年前)があった。8200年前にも寒冷期が認められる[3]。
約7300年前に南九州の鬼界カルデラが噴火する。同時に巨大地震や巨大津波が発生した[4]。
更新世末から完新世初めにかけて、人類の直接の祖先であるヒト(ホモ・サピエンス・サピエンス)が世界規模で拡散する。人類の生活はそれまで、遊動しながらの狩猟(漁労)採集活動生活であったが、大きな川の流域などで定住農耕牧畜生活に大きく転換した。徐々に人類が文明を築き始めたことは人類史にとって重要な変化であった[5]
「世界の歴史」および「紀元前11千年紀以前」も参照

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ヤンガードリアス(Younger Dryas)は、更新世の終わりのヨーロッパの気候区分[要検証 ? ノート]で、亜氷期の期間である。ヤンガードライアス[1]、新ドリアス期[2]とも呼ばれる。また、ヤンガードリアス期の寒冷化はヤンガードリアスイベント(YD)とも呼ばれる[3]。
概要 この時期は最終氷期の終了に伴う温暖期である「ベーリング/アレレード期」と呼ばれる亜間氷期の後に 1300 ± 70 年間[4]続いた気候寒冷期である。ヤンガードライアス期の年代は暦年代で1万2900年前 - 1万1500年前[5]、放射性炭素年代で1万1000年前 - 1万年前とされている。ヤンガードリアス期の後は完新世の「プレボレアル期」(亜間氷期)に移行する。
英語の“Younger Dryas”は、アルプスやツンドラに生息するチョウノスケソウ(Dryas octopetala)の学名から命名された[6]。アイルランドでは Nahanagan Stadial 、イギリスでは Loch Lomond Stadial と呼ばれている。
なお、アレレード期の前の亜氷期は「古ドリアス期」とも呼ばれ、ヤンガードリアス期のおよそ1000年前に300年ほど続いた[7]。

急激な気候変化
ヤンガードリアスは、最終氷期が終わり温暖化が始まった状態から急激に寒冷化に戻った現象で、現在から1万2900年前から1万1500年前にかけて北半球の高緯度で起こった(Alley 2000[8])。この変化は数十年の期間で起きたとされている(Alley et. al. 1993[9])。グリーンランドの氷床コアGISP2の同位体データはこの間、グリーンランドの山頂部では現在よりも15℃寒冷であったことを示している(Alley et. al. 1993;Severinghaus et. al. 1998[10])。イギリスでは甲虫の化石から、年平均気温がおよそ-5℃に低下し、高地には氷原や氷河が形成され、氷河の先端が低地まで前進していたことが示唆される(Atkinson,T.C., et. al.,1987)。これほど規模が大きく急激な気候の変化はその後起きていない(Alley 2000)。

規模
ヤンガードリアスはヨーロッパに非常に大きな影響を与えたが、世界各地でも類似の現象が報告されている。
スカンジナビアにおける、森林から氷河性のツンドラ(代表的な植生がDryas octopetala)への交代。
世界各地での山岳部、山脈部での氷河作用の進行もしくは降雪量の増加。
アジアの砂漠起源の塵の地球大気中への増加。
ナトゥーフ文化で農業が始まった原因といわれる、レバント地方の旱魃。
南極の氷床コアで発見された南半球のHuelmo/Mascardi Cold Reversal(寒冷期)。
しかし、南極で見られる寒冷化はヤンガードリアスの少し前に始まってほぼ同時期に終わっており、規模がグリーンランドよりも明らかに小さい。これが世界的な出来事だったとしても、この時期に南半球には氷河の前進の証拠が無いことが問題視されている。

原因
この原因は、現在2つ考えられている。彗星衝突による塵の影響や氷河の融解等、また1万2000年前での北大西洋における熱塩循環の弱体化によるもののいずれかが起こった、あるいは同時に起こった結果だと考えられている[11]。
最終氷期の終了に伴う温暖化によって、それまで北大西洋中緯度までしか北上できなかった暖流のメキシコ湾流が高い緯度まで達するようになり、そこで大気中に熱を放出して沈降する。その放出された熱によりヨーロッパは高緯度まで温暖化が進み、大陸氷床は急速に縮小しつつあった。北アメリカでも氷床は後退しつつあったが、融解した氷床は現在の五大湖よりさらに巨大なアガシー湖を造って、そこからあふれた大量の淡水はミシシッピ川を通ってメキシコ湾に注いでいた。
しかし、氷床が北に後退すると共にセントローレンス川の流路が氷の下から現われ、アガシー湖の水は今度はセントローレンス川を通って北大西洋に流出するようになった。この膨大な量の淡水は、比重が海水より小さいこともあって北大西洋の表層に広がり、メキシコ湾流の北上と熱の放出を妨げた結果、ヨーロッパは再び寒冷化し、世界的に影響が及んだとされる。
ただし現在のところ、この理論ではなぜ南半球の寒冷化が先に起こったのかが説明できていない。

「en:Younger Dryas impact hypothesis」および「クローヴィス文化」も参照
もっとも有力な1つの説では、北米大陸への彗星の衝突により巻き上げられた塵による寒冷化があげられ、米国のオクラホマ州、ミシガン州、サウスカロライナ州、カナダ・アルバータ州などで、その証拠となる極小のダイヤモンドが約1万3000年前の地層から発見されている[12]。なおグリーンランドのハイアワサ氷河下でも、300万年前から1万2000年前の間に形成されたと思われるクレーターの存在が確認されており、こちらでは彗星衝突時に出来る衝撃石英が発見されている。追加研究によると衝突クレーターは5800万年前のものであり、ヤンガードリアスと関係がないことがわかった。暁新世の温暖化とも考えられるが時期的にも200万年のズレがある。[要出典]

ヤンガードリアスの終了
氷床コアGISP2の酸素同位体の分析から、ヤンガードリアスの終了は40 - 50年の間にそれぞれ5年程度の3つの段階を経て起きたと考えられている。塵や雪の堆積速度などの他の指標から、数年で7℃という非常に急激な温暖化が起こったことを示している(Alley,R.B.,2000;Alley et. al.,1993;Sissons, J.B.,1979;Alley,R.B., et. al.,1993;Dansgaard,W.,et. al.,1989)。
この年代は様々な手法で推定されているが、紀元前9600年頃(補正後現在から11550年前。紀元前1万年前に放射性炭素の値が平坦な《上昇も低下もしない比較的変動の少ない時期》があるため。詳しくは放射性炭素年代測定参照)と言われている。現在のところ最も有効な説では以下のものがある。

11530±50 BP ― グリーンランドGRIP氷床コア
11530+40-60 BP ― ノルウェー西部、Krakenes湖
11570 BP ― ベネズエラ、カリアコ海盆堆積物コア
11570 BP ― ドイツ、オーク/松の年輪学
11640±280 BP ― グリーンランドGISP2氷床コア
BPは before present(現在から~年前)の略。なおBPを使用する場合、「現在」を紀元後1950年とすることが国際的に取り決められている。

ヤンガードリアスと農耕の開始
ヤンガードリアスはしばしば西アジアでの農耕の開始と関連付けられる(Bar-Yosef,O.and A.Belfer-Cohen,2002)。寒冷化と乾燥化がその地域の環境収容力の低下をもたらして前期ナトゥーフ時代の住民の生活様式を変化させ、更なる気候の悪化によって食料を生産する必要性が生じたという説がある。一方、この寒冷化が終わったことが農業の開始と関係するという説(Munro,N.D.,2003)[13]もあり、この問題については議論が続いている。シリアのテル・アブ・フレイラ遺跡(11050BP, 紀元前9050年頃)では最古級の農耕の跡(ライムギ)が発見されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%82%B9

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